モダンのブランドジュエリーに魅力を感じる人もいれば、ハンドメイドの手作り感満載のアクセサリーにココロときめく人もいることでしょう。しかしジュエリー制作に機械の手が加わる以前のものを手にとると、その繊細でオリジナリティー溢れるデザインにハッとするはず。

今回はモダンとは異なる中世・ルネサンスにおけるジュエリーとその制作背景、そしてそれらの担い手である金細工職人たちの小宇宙をクローズアップしてみたいと思います。

中世・ルネサンスの金細工職人たち

ジュエリーは目で見て楽しみ、感性でその本質を知るべきアート作品。量産されたジュエリーを手に取れば、いかに先人の金細工職人たちの作品が素晴らしいか分かるはずです。

ジュエリーは紀元前から世界各地で作られてきましたが、まずは最もジュエリーに宗教的・神聖的価値が付加された、中世・ルネサンスの金細工職人とその文化的・商業的背景を覗いてみたいと思います。

中世・ルネサンスの金細工職人が優れた技術を持っていた不思議

金細工師たちが王侯貴族にもてはやされたのは、ジョージアン、ヴィクトリアンの両時代だけではありません。中世と一括りにしてしまうと、あまりに長いスパンになってしまいますが、約400年から1400年の間。そしてイタリアで生まれた文化復興運動であるルネサンス期の彫金技術は、現代人が見ても目から鱗が落ちてしまいます。

その時代の金細工職人たちが、なぜに後世に称えられるくらいの技術を持っていたのか?まずはそこをはっきりさせましょう。

まず第一に、現代程ジュエリーに使用できるようなメタルが少なかったことがあります。古代ローマの時代から金は持ち歩き出来る財産であり、そしてまばゆく輝く光沢から宝飾品として重宝されてきました。時代は流れ金の採掘量が減った中世・ルネサンスそしてジョージアン期には、いかに少ない金でより煌びやかに、そしてゴージャスに魅せるかが一つの目安となっていったのです。

そしてお金持ちの貴族や王族が自らのプライドと威信をかけて発注するジュエリーは、歴史に名を残すくらいの作品でなければならなかったのは言うまでもありません。またこれらの時代にはキリストの奇跡や聖母マリアの慈愛をモチーフにした、いわゆるマジカルな意味合いを含んだジュエリーも多く、装飾プラス魔術的な価値も付加されていったのです。

金細工はジュエリーだけにあらず!街の金細工工房から発達した銀行業

中世ルネサンス期のジュエリー工房
参照:https://www.wga.hu/detail/m/manuel/eligius.jpg

当時の金細工師たちの職場である街工房は、数多くのルネサンス絵画や版画作品として現代に伝わっています。現代のように整備された機械は勿論見当たらず、作業机に一通りの工具や秤、いくつかの金属や宝石がアチコチに散らばっているのを発見できるはず。

そしてそこにはしばし通貨として流通していた金貨や銀貨、そして悩まし気な顔で工房で働く職人にお金を預ける紳士淑女の姿も見られます。

勘のいい方は分かると思いますが、つまりその時代の金細工職人たちはジュエリー制作だけでなく銀行業も平行して営んでいたのです。価値ある宝飾品や金属を保管する金庫を持っていた彼らが、市民の金銀を預かることで預かり証書を渡し、預かり量として幾何かのお金を徴収する。また彼らはいくらかのお金を貸付け、その見返りとして利子を要求する、いわゆる金貸し業にも力を入れ始めました。

銀行に貸金業者、なにかと嫌われ者の業種の原点が、金細工職人であったとは驚きですね!

参考 https://www.wga.hu/detail/m/manuel/eligius.jpg

商業組合ギルドと徒弟制度が維持したジュエリーの質と価値

優れたジュエリーを制作するにはチームワークが必要です。当たり前ですね。昔の金細工職人たちは、職業組合であるギルドを形成し、それぞれの職人たちがそれぞれの専門分野に従事する環境が整えていきました。

ギルドってなに?

例えば画家は画家の職業組合があり、靴職人には靴職人の為の職業組合がありました。つまりなにか専門職を生業にする為には、その職業組合であるギルド内でしか仕事が出来ないということを意味します。

ギルドという単語自体は英語ですが、同じような組合はオランダ、ドイツやイタリアなど欧州各国に点在し、特に手に職業を行う男達の小さな社会共同体だったのです。

日本の伝統芸能などの世界でよく見られる「親方と弟子」の関係をそのままに、中世・ルネサンス時代は「徒弟制度」が軸となり金細工が発達していきました。

つまりは親方に技術を習いそして社会の仕組みから一般常識を叩きこむ、ギルドはいわば工房兼人生学校と言えば分かりやすいかもしれませんね。

ギルド内の厳しすぎるルール

金細工職人がどの素材を使い、何を作るか?に関しても、厳しいルールの下で、仕事に従事する必要がありました。例えば王侯貴族が主な発注主の工房では、金銀に豪奢な輝石やダイヤモンドを使った宝飾品のみを制作する。そして一般市民向けの工房は、真鍮やら銅を使用した合金専門の宝飾品を作り、前者の工房と比べて社会的地位も決して高くはありませんでした。

イギリスでは貨幣より純度の低い銀の使用はNG、フランスパリでのメタルスタンダードである金19.2キャラット、銀92.5%を下回ったものもダメと、その時代時代で若干異なりますが、厳しい管理下でジュエリーの品質が保たれたのです。

よくよく考えれば当たり前ですが、中世・ルネサンスの時代も不純物を混ぜたり、カラーガラスやクリスタルで粗悪品を作る工房も多かったので、このような最低限のルールは必要不可欠だったのでしょうね。

現代にも通ずるある種のギルドの存在

興味深い話しとして、一般庶民は所持を禁止された豪奢なジュエリーを模倣したフェイクジュエリー専門のギルドもあり、大変に流行したそうな……

勿論その地方自治体によって、フェイクジュエリーを作っていいよ!という交付を受けた工房が、フェイクジュエリー制作を担っていました。たかがフェイクと言えど、それなりの基準をクリアする必要もあり、どうすれば本物の輝石と同じ輝きのガラスを作れるのか?だとか、安いメタルをいかに豪奢に魅せる彫金技術を施せるのか?が大きな課題となっていったのです。

なお金細工職人の工房の顧客はお金持ちから教会と様々であり、予算が少ない教区の教会や司祭は、ルビーやサファイアの神聖で高価な宝石を購入できない為、安価なカラーガラスのジュエリーを発注することも少なくありませんでした。

私達がダイヤモンドの代わりにキュービックジルコニアやスワロフスキーの輝きに満足するのと同様に、昔の人たちも考えられる努力に工夫を込めて作られたフェイクジュエリーを大切に身に着けていたのでした。

宮廷お抱え金細工職人とジュエリー

宝飾史を紐解くと、金細工職人と画家に大きな関わりあいがあることが分かります。ここでは宮廷御用達の金細工職人と、制作されたジュエリーの実態について見ていきたいと思います。

宮廷お抱え画家がジュエリー工房で身に着けたもの

宮廷お抱え金細工職人とジュエリー
画像引用元:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a7/Nicholas_Hilliard_001.jpg/220px-Nicholas_Hilliard_001.jpg

ニコラス・ヒリヤードは美術史においても重要なミニアチュール画家であり、エリザベス1世のミニアチュール肖像画を多く残しています。しかし彼は画家であり、そして金細工職人でもありました。視覚芸術としてのジュエリーのイロハを記した彼の著書「細密画工の技術」では、宝石のカット方法から熱処理に関して詳細に記し、後世へ彼の金細工の情熱と忍耐を伝えています。

ルネサンス期に活躍した金細工職人でもあった画家は、アルブレヒト・デューラー、アンドレア・デル・サルト、ヴェロッキオなどそうそうたる顔ぶれがそろっています。彼らは、10代で金細工職人の元に奉公し、徒弟として親方から学んだ優美な曲線の表現方法はキャンバスの上でも健在でした。つまり金銀細工、彫刻に絵画はお互いに結びつきが強く、ルーティーンの埋没作業とストイックに作品に向き合う姿勢が、分野は違えど名作を育んでいったのです。

また16世紀イギリスで活躍したハンス・ホルバインは金細工職人ではなかったものの、ジュエリーデザイン画を残しています。彼の残したジュエリーは伝わっていませんが、友人のデザイン画を元にいくつかのジュエリーを制作したと伝わっています。

参考 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a7/Nicholas_Hilliard_001.jpg/220px-Nicholas_Hilliard_001.jpg

王室に愛されたジュエリーとその行方

1568年Ammansによって書かれた「Book Of Trade」には、このような記述があります。

「金細工職人は、シール、シグネットリング、貴重な輝石をふんだんに使用したペンダントにジュエル、またはゴールドチェーン、ネックレス、ブレスレット、ゴブレットにコップ、そしてシルバーウェアなど、価値あるものを制作する。そしてそれらを所望する誰もが、喜んで金を払うものだ。」

つまりお金があるところは金に糸目をつけずに、権威としての宝飾品を片っ端から発注したということが伺えます。

しかし中世・ルネサンスの時代は血生臭い争いが絶えず、国庫で豪奢な宝飾品を購入出来るほど、余裕が見られなかったのも事実。国によっても異なりますが、身につける芸術としての宝飾品ではなく、財産または担保としての宝飾品としてジュエリーがもてはやされたことも言うまでもありません。

これらの時代はそれは多くの金細工職人が大陸を跨いで活躍しており、更には彼らがドイツ、イタリアやフランスで出版された宝飾用の図案集を参考にしながら、オリジナル作品を制作していたので、その正確な作者を突き止めるのは至難の技なのです。

例えば16世紀のロンドンでは数多くの外国人金細工職人が集まり、いわば宝飾品の国際貿易の様相が一層強くなっていきました。

このように中世からルネサンスにおける金細工職人の活躍は、各宮廷文化に財政を色濃く反映させるツールとなっていったのです。中世の神聖なデザインから権力の象徴のジュエリー、これらの輝かしい宝飾史には、根強い信仰心と自己満足な虚栄心が渦巻いていました。

中世からルネサンス期に活躍した金細工職人たちは、現代に生きる私達が見ている芸術の根源を形成する創造性とオートクチュールの精神で溢れていたことを改めて認識しますね。

まとめ

既に出尽くした感があるアンティークジュエリー市場。時間の針を戻せないからこそ、二度と出会えない!そしてそんな芸術作品をを生んだ中世・ルネサンスの金細工職人たちの卓越な手技と職業ギルド制度。

親方の技術を目で盗み、そしてそこから生きる為の生業を見出す若者に、お金儲けに走る工房。小さなギルド、王侯貴族お抱えの金細工職人を囲むギルドも、時代は違えど現代と大差ない商業主義に人間模様があるのかと思うと、なんだか感慨深いものがありますね。

なにはともあれ、アンティークジュエリーを手に取る機会があれば、それらが作られた時代背景、歴史そしてそこにあったであろう人間ドラマを想像すれば、ジュエリーの楽しさが二倍、三倍に膨らむことでしょう。