メメントモリという言葉があります。人生のはかなさ、虚栄をたった6文字で表し、それは骸骨で形容されることが少なくありません。

今回はそんな「死を思え」と相反するような美しい宝石のお話。カタコンベと呼ばれる納骨堂で永遠の眠りにつく、かつての聖職者、聖人が身に着けた目くるめくジュエリーと宝石の物語を今そっと開いてみましょう。

守護聖人と宝石、イエス・キリストに繋がる宝石の物語

どんなに現世で富を築いても、それを死後に持ち越すことはできません。勿論三途の川を渡るのにいくらかのお金を握らせて……、という風習は根付いていますが……。

しかし今回ご紹介するカタコンベに奉納された中世の聖職者、聖人たちは、それは豪華絢爛なジュエリー、宝石を身に纏い過去の栄華を現世に見せつけています。

ここではなぜに過去の聖人、聖職者が宝石を纏って埋葬されたのか、そんな不思議に迫っていきたいと思います。

宝石まみれの骸骨はなんの為?

宝石、ジュエリーと言えば女性の象徴ですが、それは同時に人生の刹那を表わすものでもあります。いずれ朽ちる運命のある人間、そしてそれと裏腹に輝く宝石たち。

今回テーマにしているカタコンベとはいわゆる地下納骨場のことで、そこには無数の残骸とかしたかつての人間が溢れんばかりに積み重なっています。それを畏敬の念を持って見つめられるか、恐怖に駆られるかは見る者の知的好奇心に依存することでしょう。

しかしそこにおびただしい数の宝石が縫い付けられたローブを纏い、目にはカラーペーストのガラスが嵌められ、指先には無数の価値あるリングが輝いていたら……、きっとあなたは素直に好奇の扉を開けるはず。

何故に骸骨がジュエリーに宝石を身についているのかという素朴な疑問について、その答えはやはりメメントモリ、そうかつての栄光を擬人化した姿を見せる為。これらの宝石で飾られた骸骨はいわゆるその地域に根付いた聖人や殉教者であり、死後も人々の信仰の対象になるがごとく飾られたのです。今ではそれが本当に実在した聖人なのか、それとも無名の誰かの骸骨なのかはわかりません。

勿論複数の骨を接着して作られた聖人もいるはずです。

これらのいわゆるカタコンベの着飾った聖人たちは、通常16~18世紀に盛んに作られ、プロテスタント勢力に苦しむカトリック信者の拠り所になっていくのです。解明できない事実に逆らうのではなく、それを奇跡、救いの象徴に見なしたいそんな信者の思いが、宝石の聖人として後世にまで語り継がれていったのです。

因みにカタコンベに隠されたこれらの聖人の多くは破壊され、残されているものはプロテスタントから逃れた小村、森にある修道院、または隠された扉の向こうにあった聖人がほとんどだそう……。

教会の修道女が形成したカタコンベの聖人

カタコンベの聖人たちは、修道院、教会の敏腕マイスターによって、丁寧に清掃されそして埃や汚れを防ぐ布で骸骨を多い、そして豪奢な服を着せます。今でも色あせないそんな姿を見せるその訳は、丁寧に縫い付けられた金糸にガラス、パールに宝石の輝きがなせる業。

勿論地元の名士や貴族がここぞとばかりに金銀、シルク、ジュエリーを無償で提供することも少なくなく、厳かに佇む聖人というよりは貴族がそのままの形でミイラ化したそんなド派手な様相を見せつけます。

指先にはエメラルドにサファイア、ルビーなど様々な色石がセットされた金の指輪、目と口のくぼみにもしっかり金で枠取りされたジュエリーが輝き、それは目が眩むほどの豪華さ。

決して厳かな死を体感できるものではありませんし、どちらかというと背筋が凍る気味の悪さを感じますが、一切の贅沢嗜好品など許されぬ修道女がどんな思いで金銀刺繍にジュエリーを骸骨に装飾したのかを考えると、奇妙な違和感を覚えずにはいられません。

絶対行きたい!キモ美しい聖人が眠るカタコンベまとめ

迫害を逃れ現代まで伝わるカタコンベの聖人たちは、ドイツ、スイスやオーストリアなどのドイツ語圏に多く残っています。ここではそんな奇妙な聖人達が眠るカタコンベをご紹介していきたいと思うので、カトリック文化をヒシヒシと感じたい方、または死の存在というものを身近に感じたい方は要チェック!

Augustinian Monestery in Gars Am Inn (ドイツ)

最高の状態で今に伝わる聖人フェリックス。ドイツはGars Am Innの守護聖人として知られ、彼が収められている修道院は一種の聖域として地元民だけでなく多くの観光客で賑わっています。

あまり私たちには馴染みのないローカルな聖人ではありますが、彼が奉納されて2か月後に発生した大規模な火災から街を救った奇跡と関連付けられ、それ以降街を見守る者として鎮座しているのです。

真っ赤なローブに宝石を纏った姿で王座に座り、額に手を置き遠くを見つめるその姿。サファイアペーストと思われる石を眼窩にセットし、右手には信奉者から寄付されたエネメルリングが光っています。

地域に根付く聖人信仰とそれを語り継ぐ人々の畏敬の念、そんな目には見えないローカル文化は時として私たちの心を揺さぶるのです。

https://www.pinterest.es/pin/406098091370643816/?lp=true

Heiligkreuztal Church(ドイツ)

カタコンベの聖人の中には頭部のみ、または身体の一部分のみが奉納されている場合も少なくありません。死後も栄華の中に生き続ける彼らが修道僧または修道女によって制作されてから、多くの盗難や破壊に合いながらも素晴らしい聖人が眠っている例の一つとして、ドイツのHeiligkreuztal Churchに眠るSt Coronatsuが挙げられます。

この読み方に若干困難が生じる教会はGutenzell修道院の姉妹教会であり、大衆への信仰や興味を惹く為に手に入れた4体の骸骨の内の1つだったそうです。パールとカラーペーストで覆われた身体、うつろな黒目にカールした金髪が他の聖人達とは若干異なる様相を見せ、今にも動き出しそうな臨場感を見る者に与えます。

https://www.pinterest.es/pin/470766967280455515/?lp=true

Irsee Abbey(ドイツ)

ドイツを旅する方の中でも、なかなかここまで来られる方はいらっしゃらないだろうと思われるのがミュンヘンから約2時間の距離にあるイルゼー修道院。いわゆるビールの醸造所としての顔を持つ修道院は、12世紀に起源を持つロマン溢れるベネディクト会系の修道院です。

古き良きババリアにある、香の匂いが微かに鼻をかすめる修道院。バロック朝の教会内部は決して大規模なものではありませんが、それは見事な聖人が祭られています。

イルゼー教会のカタコンベの聖人はSt Faustus。大きな剣に鎧兜、ローブを纏った威風堂々とした姿に圧倒!ジャラジャラの煌びやかな宝石にまみれた聖人と異なる、どこか勇ましい雰囲気を携えています。

過去には精神病院、ナチスの収容施設になるなど、暗い歴史を歩んだこともあるイルゼー修道院ですが、現在ではカンファレンス、教育センターとしての機能を担いながら、多くの旅人たちがカタコンベの聖人目当てにイルゼーの地を訪れています。

https://www.kloster-irsee.de/en/irsee-monastery

まとめ

避けられない死がある、だからこそ見ておきたいそんな光景もあるはず。身に着ける者だけがジュエリーではない、心の源泉で生きる意味だとか死ぬ美しさ、そんな角度からカタコンベの聖人を見つめてみる。

時には刹那に身を任せ、時空を超えた美の感性を磨いてみるのもいいかもしれません。骸骨、いいや聖人と宝石、その儚い美しさのどこかに人生を上手に生きるヒントも隠れている、私にはそんな気がしてなりません。